2017.01.31 - 02.09

etc.

金融緩和と財政政策が両輪で回ることが重要なのであり、今は財政引き締めてるからダメなんであってそれは別に金融緩和が間違ってるということではないと思ってる。



高齢者の免許返上の問題はほとんど「現状において公共交通がどれだけ生活をフォローできてるか」であると思うし、「公共交通が使い物にならないから車を持つしかない」と「皆が車を使うから公共交通が衰える」とが鶏と卵でスパイラルになってるので、どうにかならんものかなと常々思う。

そのスパイラルから脱するには、基本的には政治が「より便利になるため」というより「20年後ぐらいを見据えた高齢社会対策として」という名目で一見無駄に見えても公共交通に税金投入するしか無い。



病気の恐怖を煽りたいなら「最悪死ぬ」と言えば良いし、金融破たんの恐怖を煽りたいなら「最悪でデフォルト」とか言えば良いんだけど、逆に言うとこの世で「最悪でも死なない行為」なんて無いよなと思う。鼻毛抜くだけでも最悪死ぬらしいっすよ。




恵方巻きは流行らないんじゃなくて、そこそこ流行ってんだけど売る側の期待値高すぎて過剰供給になってるだけだと思う。

町の肉屋がクリスマスだからといって町の人口以上の七面鳥用意するとかそんな感じ。

恵方巻きみたいな「その日限定で食うもの」を1週間前から売り始めたりするの、本当に意味解らないんだよな。それで売れてるなら凄いなってなるけど、それで実際廃棄大量に出てます助けてくださいとか、「知るかバカ」としか思えん。



弱者男性の話は「おにぎり食べたい」餓死事件から10年、一歩も進歩してない。下手すると後退してる。

「男はマジョリティで既得権者だから強者だ」と言ってる人に、生活保護打ち切られて「おにぎり食べたい」と書き残して餓死する男の一体どこがマジョリティで既得権者で強者なのか、聞いてみたい。誰もマトモに回答できやせんだろう。



昔は「東京は収入高いけど生活コストも高い、だから地方も東京もトータルでは変わらない」と思ってたけど、今はもう完全に「東京で高いのは家賃だけで、外食・食料品をはじめ生活コストは下手すりゃ地方より安いので圧倒的に東京の方が上」でFA出てる。

で、その上で、それでも東京は人が幸せに暮らせる人口密度をはるかに超えてると思う。




むしろ「よく粘った」と言うべきなのだろうな。白根チャンスが潰れて系列全部逝った時点で一緒に逝っていてもおかしくなかったはず。

ゲーセンは、本当にもうダメなんだろう。「聖地」と呼ばれるような、ビデオゲームメインのところは特に。



「共謀罪が無くとも既に予備罪適用で同じことができる、共謀罪は不要」という民進党の突っ込みは、多分正しいんだろうな。

んでまぁ、共謀罪があろうが無かろうが、テロ準備的なものを実際に罪に問う際には「オウムに破防法を適用するのが正しいのかどうか」という議論が起こって面倒くさいことになるのだろうな。

共謀罪を作ることよりも、そういう運用での無駄な面倒くささを排除できるようにする話をした方が、建設的だよなぁと思う。

あの法務大臣のグダグダっぷりを引き出したのは、久しぶりに民進党はまともな仕事したなと素直に思う。



小池都知事がどんなにアレであろうと、少なくとも都民は都知事選挙時点ではベターな選択をしたことだけは間違いないので「何でこんなのを選んだんだ」みたいなことは言わないことにしている。

ベターが小池氏だったとして、ベストはなんだったかと言うと多分マック赤坂氏だったと思うけど、それを選べというのは無茶振りすぎるので。

有力候補の中で一番共産色の弱い候補選んだみたら当選後に共産党とベッタリの関係に転じるとか、さすがに予測できた人は居ないだろう。

まぁ、その辺は全部自民党都連が悪い。物事の順序として、小池都知事をどうにかする前に、自民党都連がどうにかならないといけないのだろうな。



「配偶者が(実は)DVするような人間だった」というのが「運が悪かった」というのは解るが、「配偶者がDVもしない良い人だった」というのが「たまたま運が良かっただけ」というのは、「DVするのも運だからしちゃっても仕方ない」という話になるので同意しかねる。

「良い人であり続けること」というのは高コストなのだから、ちゃんと評価してやらないと良い人はどんどん居なくなる。



CR化物語からガッツリ物語シリーズにハマりこんでしまっているので、多分CRガルパン打ったらガルパン見るようになると思う。なのでとりあえず打たないでおく。

物語シリーズの副音声、1時間聞いてると脳が溶けていくのを感じる。



インスタントラーメンを評価するのに「ラーメン屋のラーメンにどれだけ近いか」を基準とするのではなくて、「そういう食べ物として、どれくらい美味いか」で評価したら、チキンラーメンは今でもかなり美味い部類に入ると思う。



ココイチの「グランド・マザー・カレー」は「おばあちゃんのカレー」なのか「母の偉大なるカレー」なのか。



「二郎は早く食べないと麺がスープを吸って大変なことになる」ってよく聞くけど、実際に食ってもそんなことにはならんと思う。普通のラーメンと変わらん。ラーメン一杯に数十分~小一時間かける人のことは知らん。

二郎はコッテリしてると思ったことは無い(ツバサン系の方がよほど脂多い)が、かなりしょっぱいので野菜マシにして塩分中和しながらじゃないと食える気がしない。カラメとかダメだろあんなの。



「対中の貿易リスク」に勝手に「チャイナシンドローム」という名前を付けて呼ばないで欲しい。紛らわしいことこの上ない。



ダウンタウンのカリスマの源泉は「ごっつでのコントのクオリティ」以上に「ガキの使いでフリートークの体で漫才の腕を証明し続けたこと」だと思うので、逆に言うとガキの使いのフリートークを実質的に止めちゃった時点で「ダウンタウンの何がそんなに偉いの?」言われるのは仕方ないと思う。

「ダウンタウンの何が凄いの?」という質問に答えるためには、やっぱ「ごっつのコントDVD」より「ガキの使いのフリートーク集DVD」の方が良いという持論。




こういう話が出てくるのは想定内も良いとこで、まぁ同意しないでもないのだけど、そもそも自由裁量でもないのに自由裁量であることにされて長時間残業を「自ら望んでやってます」という体にされる、みたいな事がザラにあるとき「自律裁量のモチベーションがー」とか言われてもね。

対症療法にかまけて根治治療を目指さないのもダメだけど、「大量出血してるのでまずは止血」みたいな時に「それは対症療法だ!それより原因を探して解決しろ!」と否定しにかかるのも同じくらいダメでしょ。

だから、そういう記事もショック療法で状況が落ち着いて、全体に「もうちっと忙しくても良いかなぁ」みたいになってから「では休みの取り方から見直してみましょう」と言うのなら解るのだけど、その頃には根治治療しなきゃいけないこと忘れてるでしょどーせ。



「人身事故で誰も何とも思わないのはおかしい」とは言うものの、じゃあ全員がどういうリアクション取ったら満足なのかといえば多分何も無いし、オレかて新聞で毎日お悔やみ欄見てるけど特に何もしないので、そんなものだろうと思う。

「自分の移動時間の遅れ」より「見ず知らずの他人の死」の方が感情の優先事項が高いようだと、日常生活に支障があると思う。



伊集院がラジオでよく言うけど、「ご遠慮ください」は普通に「どうしてもの時はOK」と解釈されても仕方ない言葉なので使わない方が良いと日ごろ思ってる。

まぁ、実際言ってる側も「どうしてもの場合は仕方ないけど」という意味で言ってるのかもしれないが。


2017年02月12日 Twitterまとめ トラックバック:0 コメント:0

2017.01.19 - 30

もう「誰が言ったかではなく何を言ったか」という時代でもない。

「誰が言ったかではなく何を言ったか」とはよく言うものの。全てが全てのケースで適用されて良い話ではなく。

要するに、オピニオンにおいては「何を言ったか」が重視されるべきだが、ファクトにおいては「誰が言ったか」をよく見て真偽判断をしなければならない。

また、オピニオンにおいても「誰が言ったか」を追うことで真意を読解することが容易になる。

というわけで、1ツイートが切り出されて飛び交い、デマも横行するTwitterでは、むしろ「誰が言ったか」を積極的に重視しないとダメだよな、というお話。

この言葉が出てきたのは2chであり、「誰が言ったか」に意味が無かった。そもそも「誰が言ったかではなく何を言ったか」という言葉自体、特殊状況でのみ有効であった、と思った方が良い。



「『ウソをウソだと見抜ける人でないと難しい』という格言はもう賞味期限切れ」という意見に同意の声」をお気に入りにしました。

これは今目に入ったのだけど、「ウソをウソだと見抜ける人でないと難しい」も今朝の話と一緒でそもそもが2ch限定での話だよな。2000年代の日本のネットが二アリーイコールで2chだった時期があったのが、色々と誤解というかリテラシーの齟齬を生んでる気がする。

2chの文化というのは一言で言えば「名無しの言うことを鵜呑みにすんな」で全て済んでしまうのだけど、それをメディア各社や著名人がフラットに入り乱れるTwitterのような場に持ち込んで上手くいくわけが無い。

逆に言うと、2chは「名無しの言うことを鵜呑みにすんな」があったからこそソース至上主義でもあったわけだな。

今のSNSにおいては「誰が言ったかではなく何を言ったか」「ウソをウソだと見抜ける人でないと難しい」ではなく「ウソは見抜けない前提で、ウソをつかなそうな人を選んで話を聞きましょう」じゃないとダメだと思う。

だって2chと違って発言者の個別認識できるんだもの。

「ウソは見抜けない」というか、「1件をウソかどうか判別するのはそう難しいことではないが、情報量が膨大になりすぎて、いちいちウソかどうか検証しているだけのリソースは無い」ということ。



「清貧」。

「清貧」ってどういう意味なんでしょうか?
「貧しい生活」となっても、「正しい行い」を選択するとき「清貧に甘んずる」という語句として「清貧」という言葉がある
最初から「清く、正しい生活」=「貧しい生活」と結びついたものとして「清貧」とという言葉があるのではない。

「行いが清らかで私欲がなく、そのためあえて貧乏であること」ですかね
ただ貧しいだけでは「赤貧」といいます。

だよなー。

今は因果関係が逆になって使われるよな。「物質的には豊かになったが精神的には貧しい」という印象論からの、「貧乏だから正しくなるのだ」「だからお前らは貧乏になるべきだ」という。バブルの頃からその傾向があって、東日本大震災以降、特にその傾向が強くなった。




豆腐や大根がダメなら何を入れるんだよ…。

こういうの、「具」の問題じゃなくて「火を通しすぎてグッチャグチャになる」とか、そういう料理の腕の問題だと思うんだけどな。サッと火を通して味噌汁で食えば美味いものも、煮込んでしまうからクッソ不味くなる。

オレも昔、さやえんどうがそういう理由で苦手だった。味噌汁で煮込まれて筋だけが残ったようなさやえんどうの不味さは異常だった。

料理が下手な人、基本的に「味噌汁を煮込み料理だと思ってる」という共通点があるような気がする。ミネストローネみたいにひたすら煮て台無しにする。

下手な料理を食べて嫌いだと思い込んでたけど、一人暮らしで自分で料理してみたらどれも美味かった、というのがいくつもある。さやえんどうとかそうめんとか。

ブロッコリーもだな。ブロッコリーほど火の通し方で味の変わる食材も珍しい。

ゴーヤは逆にちゃんとを火を通せば苦味も和らいで青臭さも消えて美味くなる。よくレシピには「ゴーヤチャンプルはサッと火を通してシャキシャキにしましょう」みたいに書いてあるけど、あれは大嘘。それが解るまでかなりかかった。



AI。

「機械学習によって得られる、最適化されたモデル」を「(人口)知能」と呼ぶのは何か違うんじゃねーのかなぁ、という気がしてならない。結局のところブラックボックスの最適化に過ぎないわけで。

「ニューロンモデルの集合によって作られているものなのだから知能だろ」と言われればそれはそうなのだが、そういう文脈の「知能」とニュースで報じられて一般の人が想像する「知能」は違うものだろう。

もっとハッキリ言語化すると、機械学習には「正解・不正解」や「報酬の設定」が必要なわけだけど、「何が正解で何が不正解か」を判断することこそが一般的に言うところの「知能・知性」だと思うわけだ。機械学習にはそれが無い。

そういうことを、こういう「それ、AI要るんか?」みたいなニュースを見ると考えてしまう。



etc.

格ゲーに必要なのは反射神経とか動体視力なんかより長時間の集中に耐えられる体力だな。それが本当に衰えた。



格ゲーやってると、相手があと一撃のところでダウンした瞬間に、「今まで散々めくりJ小Kからの攻めをバラ撒いてきたから、ここで相手の起き上がりにこちらが着地するぐらいの早いタイミングでジャンプしてやれば相手は必ずリバサで真昇竜をぶっ放すので、それをガードして大K入れてオレの勝ち」…ぐらいまで読めて、そして実際にその通りに勝てる一戦があり、そういう快感を体験してしまうと辞められなくなるのよな。相手のぶっ放しがこちらの思惑通りに発動するぐらい楽しいことは無い。

逆に、「お互いあと一発」ぐらいの乱戦状態でちょっとテンパってガチャガチャやったらラッキーヒットして勝ってしまう、とかだと相手に申し訳なく思う。



ここ数年の政治(運動)の動きって、要するに「我こそが被差別者であり弱者でありリソースを受け取るべき者だ!お前らは強者なんだから勝手に耐えて死ね!!」というマウントの取り合いだよな。大抵のことはこの枠内に収まる気がする。



東京から新幹線乗るたびにとりあえずグランスタ寄って車内で食うもん物色するが、毎回物価の高さにドン引きしてそのまま去る。

千円で買える弁当がほぼゼロとかパン屋で買うようなミートパイが1つ400円とか何なのあそこ。



酌という文化、本当に無くなれば良いのにな。内心嫌々注いで、それを「あぁ、嫌々やられてるんだろうなぁ」と思いながら内心嫌々受けるって、一体何なのだろうか。ジョッキで飲む生ビールはあんなに美味いというのに。酒への冒涜だよ。



ニンジャスレイヤー実況アカウントを削除して(というか削除させられて)みて改めて思うけど、やっぱりTwitterというのはその場限りのコンテンツであって、そこでの発言を残そうとしたらそれなりにリライトするなりして形を整えてブログに載せ直すのが重要だなぁと思う。

Twitterはやっぱロガーとして使うにはあらゆる面でダメダメだよ。いつBAN食らうか解らんし、検索システムもなってないし、自分の発言内容もノイズ(後で見直すと意味不明にしかならない実況とか)多すぎるし。


2017年02月05日 Twitterまとめ トラックバック:0 コメント:0

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