2017.08.12 - 29

2017/08/29 6:02

ミサイル発射警報か…。

実際のところどうしろと言うのだ…。

ミサイル発射警報、コレ東京鳴ってねぇのか。東京に出ると出ないとで今後の世論全然違うと思うぞ。



「テレ東までもがミサイル発射の特番を入れ、これは本当に戦争かと思われたところ、けものフレンズは予定通り放送され安堵が広がる」まで読んだ。

北朝鮮がアメリカの反応を見ることしか考えてなくてミサイルが通過する日本のことは考慮からスッパリ抜けてる、というほどアホじゃないと思いたいが、もうこれ解らんなぁ。



「Jアラート鳴動で『逃げて!と言われてもどこに逃げたらいいか分からなかった』と言う人は何ヶ月間もニュースや政府公報などを見てなかったのか?」…と言うけれど、そう言えるほど報道されてないと思うよ。この数か月の政治関係なんかモリカケと豊洲だけだったじゃん報じられてたの。

モリカケ問題を報じる時間の1割でもこういう広報に使って「メディアが本来果たすべき役割」を全うしててくれたらなぁと思う。



「Jアラート受けてもできることがない」というより「とりあえず家の中でカーテン閉めて布団かぶって寝ていればわりとベターな行動」というのが正しいのでは。そもそもミサイル直撃しても助かる行動自体が存在しない。



24時間テレビ。

毎年「24時間テレビなんかやってないでその制作料を寄付しろよw」とか言われるわけだが、そもそも製作費用の多寡の問題じゃなく「企業は広告目的にスポンサー料を出すのであって寄付金として出すわけではないのだから、『番組制作費を寄付すれば』というのは詐欺教唆レベルの戯言」というのがもっと言われるべきだと思う。

おつかい頼まれて渡されたお金を道端でやってた共同募金に全部寄付して何も買えずに帰ってきて怒られないとでも思ってんの?って話ですよ。

「24時間テレビの製作費用を寄付すれば良いじゃん」というのは「種籾なんて撒かずに食っちまえば良いだろ」レベルの話をしているわけです。



FNS27時間テレビが青息吐息なのに比べて24時間テレビが古臭いまま健在なのは、やはり「金が集まる番組だから」ってのが大きいんだろうなぁ。あとなんだかんだでテーマが固まってるのと。

今のワケの解らない障碍者のお涙頂戴番組と化した24時間テレビは嫌いだけど、「特別番組として募金活動をやる」というのはやはり企画として白眉だと思うよ。



24時間テレビは続くけどかくし芸大会は終わったりするの、正直よく解らない。

ここ10年ぐらい、テレビ局の「伝統番組」の取捨選択が狂ってねぇか?という気がする。まぁ「いいとも」はタモリの年齢問題があるから仕方ないにしても、土曜ワイド終わらすとか、さぁ。

土曜ワイドもニチアサも、伝統枠どかして報道番組にするほど報道番組が視聴率取れるとは到底思えないんすけどね。




この話、そもそも問題提起している側が算数と数学をごっちゃにしているのが悪いのでは。この問題ではもはや掛け算の順序とは違う。

「85円×144本+144円×15冊」を「144×100」として良いとするのは「単位をガン無視してよい」という話で、このケースは確かに「ズル」としか言えないと思う。「たまたま数字が同じだったら単位は無視してよい」という理屈は算数にも数学にも無いはずなので。

「掛け算の順序の問題」は「85円×144本を144本×85円と書いたらダメ」とか言い出すことだったから賛否(というかほぼ否)あったけど、「85円×144本=85本×144円」とか教えたら、そりゃダメでしょ。それ交換法則じゃないもの。

「掛け算の順序の問題」に対して「85円×144本を144本×85円と書いても良いだろ!」ではなく「85円×144本も144円×85本も一緒だろ!」という思考で反発していた人が少なからず居たのだなぁと、ちょっとビックリしてる。



最近のTwitter。

最近、わりと本気で「こっちばかり多方面に勝手に配慮する必要は無くて、もっと向こうを見習ってダブスタ全開でエゴを叫ぶぐらいで丁度良いのではないか」と思ってる。

これからは「ダブスタとか知るかよ!オレはそれが良いんだ!!それで何が悪い!!!」ぐらい叫べないとダメなのかもしれない。

一人で勝手に中庸を目指すのではなくて、エゴをむき出しにして遠慮なく殴りあうことで中庸を目指すべき、というか。

こっちが1を主張し、向こうが-1を主張すると、足して0になる。一人で勝手に遠慮して0を目指したところで相手は変わらず-1を主張するので、足すとマイナスになる。そういう感じ。

対話が不可能な人が増えすぎているので、これからはひたすら一方的に叫んで中和していくみたいなことがネットの言論として必要というか当たり前になっていくんだろうなと思った。



「何で他人に異様に厳しい人ほど自分には激甘になる傾向があるのか」について少し考えたが、そういう人は「そもそも自分が何を言っているか解っていない(自分の言葉が客観的にどう受け止められるか理解してない)ため、結果として『自分の言葉を他人が聞いたときに設置される他人へのハードル』と『自分の言葉による自分へのハードル』とがかけ離れてしまい、ダブスタが生まれる」ということなのではないかと。

他人がミスして「そんな程度でミスするようなヤツは死んでしまえ!」という人、自分が失敗した時には「他人のミスにはちょっと厳しく言っちゃったから、自分も反省しなきゃねー(テヘペロ(←自分にとって厳しめの反省」となるわけね。

自分がいつも言ってる「死ねとは言ったが死ねというつもりで言ったわけではない」というやつ。



etc.

世の中死亡フラグ数あれど、日本において「サスペンスで犯人をゆする」に勝るものは無い。

何でこんなにもサスペンスには必ず犯人をゆすって金を取ろうとして殺されるやつが絶えないのか。



普段車に乗らなくなって歩行者の立場になることが多くなって大分経つけど、右左折時に横断歩道の歩行者の有無を見ない車が大体10%ぐらい居て、横断歩道の歩行者を見ながら「オラどかんかいひき殺すぞ!!」とアクセル踏む車が0.1%ぐらい居るという印象。



「肉親が死んだ時の葬儀や埋葬などの手配」というのは、どこで(タイミング的にも場所的にも)学ぶものなのだろうか。よく皆当たり前のようにこなしてるなぁと物凄く不思議なんだけれど。

結婚式は「式を考えているんですけどー」と式場窓口で相談すれば全部教えてくれるからそういう点では楽だったけど、葬式は自分から予定立ててすることじゃないし。



ハンドスピナーで「無間の歯車」作ったらめっちゃ売れそうな気がした。



ここ最近、Kindleで無料だったクッキングパパの1~3巻読んでいるんだが、「30年前の作品」ということを念頭において読むと本当に凄いぞこれ。「兼業主夫とキャリアウーマンによる理想的な家庭」というジェンダーフリーのテーマを30年前に描けていたと思うと先進的過ぎてビックリする。

あと飲酒に対する緩さの描写が30年前の世相の資料として通用するレベル。子供がちょっと飲んでいたり、軽く一杯飲んだ後にスクーター乗ったり、今では絶対にありえないが当時の飲酒に対する意識は確かにそんなもんだった。

何度も言ってるけど、世の中が飲酒運転に対してここまで厳しくなったのは本当にここ10年かそこら(2006年の福岡海の中道大橋飲酒運転事故による)だからね。



新潟県庁前の眼鏡のパリミキ、仏壇のTOAになったのか…。時代やのぅ…。

仏壇墓石葬儀が世の中のメインビジネスになっていくの、本当に日本がフェードアウトしていく感じがする。


2017年09月03日 Twitterまとめ トラックバック:0 コメント:1

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85×円×144も144×円×85も一緒でしょう。
単位(計量の基準となる量)と助数詞(何の値かを示す接尾語)をごっちゃにするのもどうかと思います。

2017年09月05日 通りすがり URL 編集












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